キャリアの隠れ家
- 第47回 矢沢永吉は、ただの男の独占欲の塊のような幼い恋情を、大人の、甘美で永遠のロマンチズムに変え、そこにいてあたり前の古女房を、「世界で、たった一人のお前」に変える。その世界観と表現力に、ファンは、日常生活からのカタルシスを覚えるのだ。
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フロイトかユングか、人間は、年老いるに従って、個性化が加速される、といっている。「還暦」の意味が、もう一度、生き直すことだとしたら、それまで創り上げてきた個性を自覚して、本当の自分を生きるスタートが、還暦と言えるのでは、ないだろうか。
矢沢永吉は、この9月14日で、満62歳になる。還暦を2歳超えて、ミュージシャンとして、一人の人間として、そして表現者であり、ちょっと大げさな言い方だが「思想家」として、その個性は、ますます際立ち続けるだろう。
私が、初めて矢沢永吉の名前を知ったのは、33年前『成りあがり』(角川文庫版)を手にした時だった。当時は、編集者が、同じ業界人である糸井重里ということへの興味が優っていたのだが、一読して、繰り返し繰り返し読み直して、しばらくは手元において、まさに肌身離さずといった読み方をして、そこに語られている生き方に、「はまった」。
これまでの、矢沢永吉の楽曲や発言は、「人材開発」のための暗喩に溢れている。『成りあがり』や「ビッグ」は、成功の法則を語っているし、「BOSS」はリーダーシップ論だし、「『YAZAWA』と『矢沢』」はセルフマネジメント論だし、「60になっても、ケツ振ってロックンロールを歌っているような、かっこいいオヤジになってやる」はキャリアデザインだし、「Switch」(2009年8月号)矢沢特集の「揺らして、転がせ」(『Wonderful Life』から引っ張ったキャッチ、だと思える)は、自己啓発のキモだし。まだまだ、挙げ始めれば、切りがない。
矢沢永吉の生き方に惚れてから、その楽曲を辿り始めた。ちょうど長野にUターンして、車の免許をとって、仕事で何時間も車中にいるようになったので、当時は、カセットレコーダーだったが、いつも、矢沢永吉の歌を聴いていた。気の重い仕事先に行く時の勝負歌を決めていた。『黒く塗りつぶせ』だったり、『背中越しのI LOVE YOU』だったり、『アイ・ラブ・ユー、OK』だったりした。
いつも思うのだけれど、矢沢永吉の、神から授けられたとしかいいようもない声帯をふるわせた、その歌詞とメロディが私の大脳に響き始めると、あたり前の日常や現実の世界が、忽然と輝き始めてくる。手の届かない「ナイフのような、痛々しい愛」が、甘美な永遠のロマンスに変わり、見飽きたはずの古女房の存在が、かけがえのない「世界でたった一人の女」、に変わる。こうして矢沢永吉は、私の人生全体を、覆っているのだ。
矢沢永吉ほど、生き方を語り続け、その影響力を広げた音楽家は、日本には、いないのではないか。
矢沢永吉という一人の人間の肉体、ハート、インテリジェンスは、言葉とメロディに統合され、時には焔のようにエモーショナルに、時には哲学者のようにインテリジェントに、存在し続ける。それは、これまで、どのミュージシャンもなしえなかったほどに深く、聴きての心のひだに染み渡り、聴きては、矢沢永吉のリアルな肉体とロマンチズムがパンパンに張り裂けそうな歌の世界に同一化され、甘美なカタルシスを覚えるのだ。
そのカタルシスを体験したファンは、矢沢永吉の肉体と魂とともに、永遠に走り続ける決心と覚悟を持つに至る。
最後に、『矢沢永吉激論集 成りあがり』から、好きな語録を一つ。
「反撃しろ 攻撃しろ 戦いの前提は負い目がないこと 自分の手でメシを食って 誇りを持つこと」
平成23年9月