home  → キャリアの隠れ家  → 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

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→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫

第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘
  昨年、白洲次郎、正子夫妻を主人公にしたテレビドラマが放映され、一躍脚光をあびたことは、記憶に新しい。
  そんな二人が昭和の終戦後移り住んだ「武相荘」に、一度行ってみたいと思っていたので、お世話になった知人のお見舞いのため上京する機会ができたので、町田まで少し足を伸ばした。
  表舞台の多かった白洲夫妻が、世間から隠れるように暮らした住まいは、まさに「隠れ家」にふさわしい佇まいで、博物館として一般公開されている。
  私が白洲正子の名を印象深くしたのは、6、7年前だったか。コピーライターとして有名な仲畑貴志が書いた、『この骨董が、アナタです』(講談社文庫)を読んだ時だ。仲畑の趣味は骨董収集で、数千万円をつぎ込んだという。ある時、目利きとして有名な白洲正子の自宅(武相荘)を訪ね、自慢の徳利を差し出した。その時、正子は、「この徳利が、あなたです」と言ったという。同著から引用すると、「~僕は、『アラ、ま!』と思った。このなんだか汚れた徳利が僕なのかと思った。ちょっと困った。しかし、話の流れからすると、どうやらほめられているようである。~」。正子は、晩年、文化評論や旅行に没頭して過ごした。正子の師匠筋に、私の愛読書でもあった「小林秀雄」や「青山二郎」がいたことを知って、なにか親しみを感じたものだ。能面を彫っている長野の友人から、「女性として、初めて能の舞台にたった『豪傑』」とも教えられた。
 夫の白洲次郎は、GHQに逆らったただ一人に日本人として、近年再評価され、日本で初めてジーパンをはいたとか、いろいろエピソードの多い人物だ。評伝もいろいろあるが、私心のない人間だったことは、どうやら間違いのないようだ。だからこそ、混迷の今の時代、マスコミが取り上げ、ドラマにもなりえるのだろう。
 「私欲」なく行動することはなかなか難しいものだ。戦後の混乱期とはいえ、否だからこそ、われわれ大衆の想像を超えた権限をもった白洲次郎が、そのすべての「私欲」から潔く身を引いて、愛する妻とともに住んだ「隠れ家」は、凛とした風格であふれていた。
 白洲次郎の晩年、雑誌記者から「夫婦円満の秘訣は?」と訊ねられ、「いっしょにいないこと」と応じたという。それは、もう実践している。次郎の遺言は、「葬式無用、戒名不用」であったという。さて、こちらの心境には、まだまだ、程遠い。



平成22年6月