キャリアの隠れ家
第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘
昨年、白洲次郎、正子夫妻を主人公にしたテレビドラマが放映され、一躍脚光をあびたことは、記憶に新しい。
そんな二人が昭和の終戦後移り住んだ「武相荘」に、一度行ってみたいと思っていたので、お世話になった知人のお見舞いのため上京する機会ができたので、町田まで少し足を伸ばした。
表舞台の多かった白洲夫妻が、世間から隠れるように暮らした住まいは、まさに「隠れ家」にふさわしい佇まいで、博物館として一般公開されている。
私が白洲正子の名を印象深くしたのは、6、7年前だったか。コピーライターとして有名な仲畑貴志が書いた、『この骨董が、アナタです』(講談社文庫)を読んだ時だ。仲畑の趣味は骨董収集で、数千万円をつぎ込んだという。ある時、目利きとして有名な白洲正子の自宅(武相荘)を訪ね、自慢の徳利を差し出した。その時、正子は、「この徳利が、あなたです」と言ったという。同著から引用すると、「~僕は、『アラ、ま!』と思った。このなんだか汚れた徳利が僕なのかと思った。ちょっと困った。しかし、話の流れからすると、どうやらほめられているようである。~」。正子は、晩年、文化評論や旅行に没頭して過ごした。正子の師匠筋に、私の愛読書でもあった「小林秀雄」や「青山二郎」がいたことを知って、なにか親しみを感じたものだ。能面を彫っている長野の友人から、「女性として、初めて能の舞台にたった『豪傑』」とも教えられた。
夫の白洲次郎は、GHQに逆らったただ一人に日本人として、近年再評価され、日本で初めてジーパンをはいたとか、いろいろエピソードの多い人物だ。評伝もいろいろあるが、私心のない人間だったことは、どうやら間違いのないようだ。だからこそ、混迷の今の時代、マスコミが取り上げ、ドラマにもなりえるのだろう。
「私欲」なく行動することはなかなか難しいものだ。戦後の混乱期とはいえ、否だからこそ、われわれ大衆の想像を超えた権限をもった白洲次郎が、そのすべての「私欲」から潔く身を引いて、愛する妻とともに住んだ「隠れ家」は、凛とした風格であふれていた。
白洲次郎の晩年、雑誌記者から「夫婦円満の秘訣は?」と訊ねられ、「いっしょにいないこと」と応じたという。それは、もう実践している。次郎の遺言は、「葬式無用、戒名不用」であったという。さて、こちらの心境には、まだまだ、程遠い。
平成22年6月