home  → キャリアの隠れ家  → 第33回  かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う。
      それはそれで楽しい「隠れ家」での時間ではあるが、祖父の威厳を見せられないのが、情けない…


キャリアの隠れ家

→ 第1回 東山魁夷館

→ 第2回 仕事の苦労を仲間と語り合う時間と空間、それが僕の隠れ家

→ 第3回 戸隠神社奥社参道

→ 第4回 山田温泉 “舞の道”

→ 第5回 小県郡浅科村

→ 第6回 「花屋」(おぶせフローラルガーデン)

→ 第7回 東京芸術大学大学美術館

→ 第8回 鬼のいない里、鬼無里

→ 第9回 須坂市浄運寺

→ 第10回 須坂市須坂版画美術館・平塚運一版画美術館

→ 第11回 松本民芸館

→ 第12回 古書店

→ 第13回 映画館

→ 第14回 「矢沢永吉ファンの隠れ家」ダイヤモンドムーン

→ 第15回 おいしい珈琲が飲める隠れ家 丸山珈琲小諸店

→ 第16回 全国の高校の同窓会ノートがある、東京新橋 有薫

→ 第17回 白洲次郎・正子の隠れ家 武相荘

→ 第18回 セカンドキャリアの隠れ家、「ギャラリーウスイ」

→ 第19回 旧望月町にある「YUSHI CAFE」は、昔懐かしいマランツが…

→ 第20回 東山魁夷画伯の墓前で手を合わせる…

→ 第21回 工業の町坂城にある、おししいジャムと紅茶が楽しめるジャム工場直営のアップルファーム。

→ 第22回 ようやく秋めいた9月の休日、信濃33番観音霊場…

→ 第23回 車中は、一人きりの「素」になれる貴重な時間…

→ 第24回 ライブコンサートは、仕事のストレスから「断捨離」して…

→ 第25回 新たな年の初めには、書初めがよく似合う…

→ 第26回 カウンターで一人、おいしい日本酒が堪能できるお店、「ながい」。

→ 第27回 酒器は、銘酒に欠かせない最高の小道具だと思う。

→ 第28回 「山は私を育てた学校である」と遺した恩人は…

→ 第29回 東京出張の行き帰り、往復6時間の車中の「隠れ家」が…

→ 第30回 上田市の無言館に、生きることを許されなかった画学生たちの叫び声を、聴きに行った…

→ 第31回 小布施町の「古陶磁コレクション了庵」で、おいしいコーヒーと庵主の話に時間を忘れる…

→ 第32回 10歳の時の読書体験が、その後の私のキャリア形成に及ぼした影響を考えてみる。それは、内田樹氏の…

→ 第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う…

→ 第34回 最近、ツイッターを始めてから、一日の時間感覚が濃くなった。「日記」より簡単な「つぶやき」だとしても…

→ 第35回 NHK教育テレビには、視聴率優先の発想では実現できそうもない番組があって、今では、私のキャリアを磨く貴重な…

→ 第36回 上田柳町の「亀齢」という地酒を飲むと、10年前、思いがけない訃報に接した親友を思い出す。お酒も、本も、仕事も…

→ 第37回 また一つ、幸せなお店との出逢い。3代続いた老舗のとんかつ屋「一とく」の店主は…

→ 第38回 5月の連休を利用して、金沢に行ってきた。新幹線が開通すれば…

→ 第39回 私の新たなキャリアの道筋を拓いてくれた、新津利通さん。先日…

→ 第40回 親子で設立された「麦っ子広場」は、いつも楽しい音楽に包まれたNPOだ。来年は…

第33回 かつて「鉄腕稲尾」に憧れた野球少年が、今では、孫といっしょにバッティングセンターに通う。それはそれで楽しい「隠れ家」での時間ではあるが、祖父の威厳を見せられないのが、情けない…
(株)カシヨキャリア開発センター 常務取締役 松井秀夫


  小学生の頃は、当時のどの子供もそうであったように、野球が大好きだった。プロ野球でいえば当時最強球団であった西鉄ライオンズのファンで、「鉄腕稲尾」や「怪童中西」に憧れていた。中学生になると、その西鉄が野球賭博騒動の渦中に巻き込まれ、ただの弱小球団に落ちぶれてしまい、肩身の狭い思いをしたことを覚えている。今日まで50年の間、スポンサー企業は2社ほど代わっているが、「ライオンズフアン」であることは、今でも変わらない。現在の「ライオンズ」は、「西武」の名前を冠している。

  東京時代には、幼い子どもをつれ、何度か所沢の西武球場に足を運んだ。また、長野に帰ってきてからも、オリンピックスタジアムで開催される西武ライオンズの公式ゲームに、2、3度出かけた。野球場での楽しさは、臨場感はもちろんだが、なんといっても、フアン同士の応援合戦ではないかと思う。ファンクラブのリーダーが打ち鳴らす笛・太鼓に合わせて、声を出し、手拍子をうつと、数千人、数万人のファンンの魂が一体となって球場にこだまし、雄雄しい気分で、仕事のうさを忘れることができた。

  小学生の頃、休日などで誘い合う遊び友達がいないと、一人、小学校の校庭に出かけ、石段をキャッチャーに見立てて、暗くなるまでボールをぶつけていた。投げるたびに、「ストライク」、「ボール」と心に中でつぶやきながら、気分はすっかり「鉄腕稲尾」だった。中学の部活ではバスケットボールを選んだので、プロ野球はラジオかテレビで、その勝ち負けを気にするだけになったが、青年期、野球に限らず、もう少しスポーツに打ち込み、体力をつけておけば、こんなことはなかったと、思うような出来事がおきた。

  2、3年前、孫が成長し、バッティングセンターに行きたいといいだした。軽い気持ちで何十年ぶりにバットを握り、スクリーンに映し出される「西武・松坂」が投げるボールに向かったが、20球中、バットにかすったのは、わずか、1、2球で、空振りをするたびに、孫は、キャッキャいいながら、喜んでいた。当の本人の番になると、半数以上はバットにあて、5,6球は、キーンと鋭い金属音を残して、ヒット性のあたりになったので、驚いた。さすがに格好がつかず、そのうちに打てるだろうとたかをくくり1時間ほど粘ったが、私のバットは空を切るばかりで、やがて体が悲鳴をあげはじめた。その日は家に帰り、今度はWiiで野球対戦したが、こちらでも1度でも勝てなかったので、さらに落ち込み、得意顔の孫を、少々、疎ましく思った…。

 先日、この4月から4年生に進む孫が、春休みの時間つぶしに泊りがけで遊びに来てくれた。幼児から少年へと変貌する年頃なのか、すっかり落ち着いたものいいは、頼もしい。誘われるまま、(嫌な予感をしながら…)、バッティングセンターにでかけた。予想通り、私にとって、情勢はさらに悪化していた。ただ、むきになる私の姿をみて、「無理しないほうが、いいんじゃないの」と、腰痛もちの祖父をいたわってくれるほど、彼は、成長していた。


平成23年4月11日